カテゴリー: こぼれ話

目の前の作業に純粋に集中できれば自分へのごほうびはいらない

自分を「頑張っている」と認めていますか?

う聞かれたことがありました。
私の答えは「No」ですが、否定的すぎるでしょうか。

「頑張ってる自分を認めてあげたら?」と助言されて、受け入れようとしてみたのだけれど……、どうも性に合わないんです。

「自分で自分をほめてあげたい」
「頑張った自分にご褒美♪」

こういうフレーズを聞くと、「甘~~~いっ!」と思ってしまうのです。

FG004_L

森裕子さんくらい頑張っていたら、発しても違和感がないけど、自分にはとても使えそうにない。
子どもの時ならともかく、現在の年齢で仕事に生きている自分の精神に、そこまでの糖分はゆるせない……。

自己肯定力が低すぎるのかもしれませんが、

「自分にごほうび」という自己肯定のプロセスを取り入れることでメンタルが快適化される人と、そうではない人がいるのではないかと。自分は、はっきり後者だなと感じています。

仕事の内容にもよるでしょうね。私は、夕方にお請けした複数案件を、翌朝までに納品するという流れで動いています。一旦業務を開始するとタイムリミットまで突っ走るので、「自分はこんなに頑張っている!」という自己愛を感じる暇ってのは、良くも悪くも持てません。

力ムダのない動きで、仕事に意識を没入させる。作業が進むにつれ雑念は削がれ、頑張っているかいないか、認められるか認められないか、なんて問題は深夜消失する。今現在に純粋に集中できれば、頑張っているもいないもない境地が稼働域になる…

仕事をつきつめていけばいくほど、そんなこと(頑張っている・いない)は、気にもならなくなります。この、「どーでもいい」という境地に入るのが、私には心地いいです!!

ED198_L

島梓のデビュー作?『文学の輪郭』(ちくま文庫)という文芸評論があるのですが、

この本で、「文学とは何か?」というテーマをつきつめにつきつめて論じた著者は、最果てでその命題の消失点に達します。

こういう物書きの方は性(サガ)に突き動かされていて、趣味などという言い方では到底片づけられないような、書くか死ぬかの際をさまよったのでしょう。“仕事”という呼び方でさえ、ぬるいかもしれません。
そういうお方が、

文学とは何か!?

どーでもいい。(というような感じのこと)

と言い遺しました。
これが論じ尽くした人の着地点! 一つの境地としての、問題放棄があるのです。

にもかくにも、ごほうびで自分を“釣る”方法ではモチベーションを保てない人は、そんなこと考えないで、自分の作業に純粋に集中して、雑念の消失点へと向かっていくといいんじゃないでしょうか。

目の前の作業に純粋に集中できれば自分へのごほうびはいらない” への1件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中